2020年8月7日
被爆75年8月6日 広島原爆投下の日にむけて 日本政府は1日も早く核兵器禁止条約に署名を!
被爆75年8月6日8時15分。テレビの前で黙祷をしてから家を出ました。
法政大学女子高等学校時代、「昭和の歴史」と言う講座で学び最後のまとめで広島に行きました。被爆者の名越操さんから実相をうかがうとともに、2度と戦争はしない2度と加害者被害者にならないでとの訴え。当時の話をすると具合が悪くなり何日も寝込んでしまう、それでも話すのは聞いてくれているみなさんが、必ず体験を語り継いでくれると信じているからです。と締めくくった言葉に深い感動と感銘を受けました。話を聞いた私たちのほとんどが号泣しました。
そして、名越さんの話が忘れられず横浜に戻ったあと自分はどう生きるべきかと考えました。2年後、20歳のときに戦前から一貫して戦争反対を貫いてきた共産党へ党員としての生き方を選びました。広島は私の原点です。
私たちに話をしてくださった名越さんは何年か前に亡くなりましたが、名越さんや被爆者のみなさんが辛い実相を話し、核廃絶を訴え続けてきた力が、国際世論も動かし核兵器禁止条約を成立させ年内発効も見通せるところまできました。そうなれば核兵器は法的に違法化されます。しかし唯一の被爆国である日本政府は条約に背を向けています。本当に恥ずかしいことだと思います。
被爆者の平均年齢は83歳。生きているうちに核廃絶を見届けたいと言う思いに、政府は応えるべきです。そして国際的にも核兵器廃絶の先頭にたつべきです。そうでない政府は、変える必要があると思います。
川崎市役所も8時15分に黙祷の放送が流れたそう。川崎市は昭和57年に核兵器廃絶都市宣言を高らかにかかげました。川崎市からも核兵器禁止条約に署名をするように国に求めていきたい、みなさんと一緒にすすめていきたいと気持ちもあらたにしています。